ギャリーよ,おまえもか 〜追悼 Gary Kielhofner〜
日本作業行動学会 前会長 山田 孝
(執筆当時) 首都大学東京大学院人間健康科学研究科教授
7月14日に,British Journal of OTに,彼にも著者の一人になってもらって一緒に書いていた”A Randamized Control Study of a Wellness Program for Healthy Elders”という論文の内部校正が終わり,BJOT誌に再投稿するというメールをKielhofnerからもらいました.その時「個人的なことなんだけど,君に知らせておく.先週,僕は脳腫瘍があることがわかったんだけど,それがどういうことなのかはまだわからないんだ.とにかく今日,脳外科の手術を受けることになっている」という短いメールも受け取りました.脳腫瘍!どうしてわかったんだろう,これから手術って,どうなるんだろうと,私は混乱しました.手術を受けるんだから,当分,メールは見れられないから,後で様子をメールで聞こうと,そのままになってしまいました.それが,ギャリー・キールホフナーとの最後のメールになるなどとは,思っても見ませんでした.
8月19日に,去年まで彼のもとでリサーチ・アシスタントをして,度々,彼の代理でメールをくれており,今年からボストン大学に移ったジェシカ・クラーマーさんから,突然のメールをもらいました.「ギャリーの古くからの友人であり,一緒に研究をしている人ということを知っているので,残念なお知らせなのですが,是非とも知っていただきたくて,メールを書き始めました」とありました.それは,彼が肺癌から脳と脊髄に転移して,今はホスピスにいること,家族は面会を拒否しているので誰も会っていないこと,メッセージがあれば伝えるから私かゲイル・フィッシャーさん(イリノイ大学シカゴ校(UIC)作業療法学科教授)に書いてほしいとありました.札幌や秋田に出かけていたために少し遅くなった28日に,私はゲイルさんに励ましの手紙と,ごく最近,「作業療法」に掲載された篠原・山田論文の英文要旨を送り,こんな立派な研究を日本ではやっていると知らせて励ましてあげました.
ところが,9月3日午前6時10分(日本時間)に,ゲイルさんからメールで,シカゴ時間で2日の早朝にギャリー・キールホフナーが亡くなったという知らせがあり,UIC作業療法学科長のYolanda Suarez-Balcazarさんの弔辞を転送してくれました.その後,6日にはアメリカOT協会長のFlorence Clark先生からの弔辞もだされました.61歳でした.
1月にシカゴで人間作業モデル30周年記念国際学会があり,私は家内と娘,それに首都大学東京大学院人間健康科学研究科博士前期課程の教え子5人と参加しました.その時,「去年の暮れに,ひどい風邪を引いて,なかなか直らなかったんだ」と言っていた彼が,ニコニコとワインをついでくれたことを思い出します.ひどい風邪は肺癌の状態だったと思うと,やるせない気持ちになります.彼とは1974年から36年のつきあいで,最近は月に2回程度のメールをやりとりする仲でした.短いメールのやりとりでも,大体のことはお互いにわかっているという仲でした.親友というのはそんなことから言えると思います.
第25回日本作業療法学会で来日した時の写真があります.その時は学会長であり,親しくしていただいていた佐藤剛先生もおられました.今,佐藤先生も,キールホフナーも,いません.私は一人になってしまったという観念にとらわれています.
来月の第41回道学会に特別講演者として招かれた私は,実は人間作業モデルの話をすることになっています.人間作業モデルの話をするのを彼が勇気づけてくれることを信じています.
北海道作業療法士会ニュース(2010年10月)への寄稿より
イリノイ大学シカゴ校作業療法学科教授・学科長
Yolanda Suarez-Balcazar(ヨランダ・スアレス-バルカサール)氏の追悼文
山田 孝・訳
ここに,私たちの最愛の同僚であり,良き指導者であり,友人であるギャーリー・キールホフナー博士が,短期間の病気の治療の後に死を迎えたことを伝えなければならないことは,心からの悲しみとするところです.
ギャーリー・キールホフナー氏は,驚くべき男性であり,予言者であり,情熱的な学者でありました.30年以上前に,彼は新米の学者として,慢性の健康状態と障害を持つ人々が充実し満足する生活を送るのを援助するために,作業療法という分野を前進させるという夢を持っていました.
彼の夢は,MOHOとして知られるようになった人間作業モデルを巧みに作りあげたときに,現実になりました.ギャリーの仕事は,数千人,数万人の作業療法士,学生,クライアント,そして同僚の生活を鼓舞して,影響を与えてきました.彼はこの専門職の大地を壊して未来を形づくって,歴史を作り上げたのです.彼は学生と同僚を指導するときには,誇りという特有の感覚を披露し,彼らの長所を引き出した.予言者としては,彼は世界の平和を考え,そこでは社会正義の支配と個人の作業遂行の必要性が満たされるとしました.作業療法の分野に対する彼の展望と勤勉な献身により,彼は,その研究の進取の精神として広く認められ,また,新らたな発展が起こる中枢として国際的に評価された世界で最高のプログラムの1つになったイリノイ大学シカゴ校(UIC)の作業療法学科を築き上げたのです.
ギャリーは,多くの業績を持った学者でした.彼は,1975年に南カリフォルニア大学から作業療法学の修士号を取得し,次いで1980年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校から公衆衛生学博士号を取得しました.ヴァージニア公立大学とボストン大学での教員の職に続いて,彼は1986年にシカゴへ移り,20年間に渡り,UIC作業療法学科長になりました.彼はUICで障害研究での博士課程の編成に尽力されたほか,先頭に立って臨床作業療法学の博士課程の開発を導きました.
ギャリーは,多作の筆者でもありました.彼は1983年に最初の本を出版し,それ以来,19冊の本と140以上の論文を専門誌に発表しました.彼と学生および同僚のチームは,世界中の実践のすべての領域で使われる13の評価法を書いています.彼の仕事は,尊敬と称賛をもって,多くの方法で,全米的に,そして,国際的に認められました.彼は2000年以降,UICWade/Meyer学科長,スウェーデンLinkoping大学の客員教授になり,2009年にはUICの応用健康科学部の「2009年度ベスト教授」に選ばれ,2004にはUICの「ベスト大学研究者」に選ばれたほか,スコットランドのQueen
Margaret大学,ペンシルバニアのHealth Sciences大学,そして,ストックホルムのKarolinska Institutetの3大学から名誉博士号を授与されました.ギャリーの業績は,それらの全てを数え上げるにはあまりにも多すぎるものでした.
彼は私たちが研究を考えたり実施したりする方法,私たちが作業を考える方法,そして,私たちがクライアントが充実した生活を送るのを援助する方法を変えたために,彼の業績は来るべき数世代に渡って続き,維持されるでしょう.彼の教育,研究,サービスに対する情熱は,彼の学生,指導を受けた人々,同情心のある訓練生,そして,現在,明日の実践を前進させようと貢献している思いやりのあるセラピストを作り上げています.彼は,他の人々には召使いのようでした.それでも,常に「明日」を考えていました.学科,学部,キャンパス,全米的に,または,国際的に作業療法の専門職にために,必要とされる時に彼の同僚を援助するために,彼の知識を披露するために,そして,公益のために,準備ができていました.
ギャリーは,私たちの生活の全てに影響を与えました.彼が行き,彼の本,出版された論文,評価とマニュアルを通して,何千人もの生活に接触したどこでも,かかわることを話して,非公式的な交流の間でさえも,彼は種をまいていました.彼は彼ら自身で創造するために,奮闘するために,そして,新たな努力に参加するために,他人に火をつけたのです.私たちが将来を見つめるにつれて,私たちは彼の遺産を受けて,彼の研究を進めることを約束します.
私たちは,ギャリー,あなたがいなくなって寂しいです.
ギャリーと妻のRenee Taylorさんは,私たちが彼の研究をやり続けるために基金を設置することを要請しました.寄付をしたい方は,以下のいずれかに貢献をすることができます:
UIC作業療法学科の人間モデル研究及び育英資金(UIC OT Model of Human Occupation Research & Scholarship Fund)
小切手には,メモに,the University of Illinois Foundation with MOHOとお書き頂き,下記にお送り下さい.
University of Illinois Foundation
1305 W. Green Street, MC 386
Urbana, IL 61801
クレジットカードによる寄付
こちらですることができます.
ギャリーの名前による寄付も,受け入れています:
The Mercy Foundation Hospice Fund
小切手には,メモに,the Mercy Foundation with Gary Kielhofnerとお書きいただき,下記にお送り下さい.
The Mercy Foundation
2525 S. Michigan Avenue, Room 240F
Chicago, IL 60616
○アメリカ作業療法協会(AOTA)HP掲載の原文