人間作業モデル 第3版 監訳者序文


 この人間作業モデル改訂第3版の原著は2002年に出版された.その年の春に,私は東京都立保健科学大学に京都大学医療技術短期大学部から移ってきたので,e-mailでKielhofnerに異動した旨の連絡をしたところ,第3版が出版されたことを知った.さっそくKielhofnerに第3版を送ってもらうことにした.第2版を日本で出版したのは1999年の春だったので,まだ3年しか経っておらず,翻訳には早いと思い,翻訳には手をつけなかった.出版社にも第3版が出版されたことを知らせたが,翻訳の話は出なかった.しかし,近い将来,いつかは手がけなければならないとは考えていた.

 第2版の在庫が少なくなってきたので,そろそろ翻訳を,という話が協同医書出版社の中村三夫専務から出されたのは,2004年の春頃ではなかったかと思う.さっそく翻訳者の体制を整えて翻訳を割り振るなどの準備を始めた.第1章から第10章ぐらいまでの原稿が整ったので,第1回目の原稿を出版社に送ったのが,2005年の11月頃のことだった.次の原稿を整理し,送付しようと思ったのが2006年の2月中旬だった.6月の日本作業療法学会頃には出版が間に合うかと,原稿は順調に整理されていた.

 私が脳出血で倒れたのは,2006年2月22日で,特別講演に伺った弘前大学医学部保健学科の大教室であった.弘前大学医学部附属病院に搬送される途中で,意識を失った.約1日半後に意識が回復し,右麻痺であること,しかし,麻痺は軽度であることを自分自身で確認した.弘前大学医学部附属病院では,対馬祥子先生から急性期の作業療法を4回ほど受けた.1週間ほどで,弘前大学医学部附属病院から前年の夏に黎明郷リハビリテーション病院が作った新しい脳卒中専門の,急性期から回復期までを受け持つ弘前脳卒中センターに転院した.その病院では,斎藤信一作業療法主任から作業療法を受けたが,彼のアプローチは急性期の作業療法としては優れたものであったように思う.理学療法も受けたが,歩行などはまったく困らなかったために,印象は残っていない.それよりも大きな影響を受けたのが言語で,左半球損傷のために言葉を忘れてしまっていることがショックであった.言語療法の時は,あんなことも言えなかった,こんなことも忘れてしまったと,毎回がショックの連続だった.その病院も3月28日に退院し,青森空港から飛行機で東京の自宅に戻った.

 東京では,江戸川病院の加藤正弘院長に主治医になっていただき,言語療法を受けるように言われたが,自分から作業療法も受けさせてくださいとお願いした.言語療法では,相変わらず物忘れが多く,ショックではあったが,徐々に記憶が戻ってきて,自信もついてきた.そんな中で,5月17日をもって言語療法と作業療法の終了を言い渡され,6月1日に通院も終了となった.勤務開始は入院から4カ月後の6月23日からと自分で決めたが,その日は第40回日本作業療法学会が思い出の地京都で始まるという時であった.

 家に帰った4月初旬から,最も気になっていたこの第3版の翻訳の仕事を開始した.ワープロの操作法を忘れてしまっている自分に気づかず,第13章の文書を消去してしまうといったアクシデントも経験した.妻に忘れた手順を尋ね,答えてもらって,思い出したり,記憶しなおすということを続けた結果,操作法も元に戻ってきた.消去してしまった第13章は,幸いにも打ち出した原稿が残っていたので,それを参考に自分で打ち込み直した.そんな中で,5月末には右腕が重くなり,痛みも出て,近くの整形外科に行ったところ,腱鞘炎と診断され,回復までには1カ月半以上もかかった.踏んだり蹴ったりだった.腱鞘炎の時は,妻に最長連続作業時間は30分に制限され,それも左手で打ち込むという条件がつけられた.第II部の原稿の整理が終了したのは8月頃であったと思う.

 9月末に女房と2人で秋田に行き,温泉に入っていた時のことである.お腹が痛み出し,夕食も食べられないような状況になった.エビのように体を折り曲げていないと耐えられない痛みだった.一晩中,ウトウトとして翌朝を迎え,休日外来で秋田大学医学部附属病院に行って診てもらったが,一向に埒があかないので,秋田新幹線こまちで家に帰り,その足で東京女子医科大学東医療センターに行って,休日時間外診察で診てもらった.その結果,下された診断は胆のう胆石であった.痛みは極限に達し,ベッドの上に寝てくださいと言われても,体幹を伸展することがすぐにはできずに,大分時間がかかったようである.診断は下ったが,病室は満室だということで,どこにしようかと考えた.江戸川病院を思い出し,女房が電話で話をしたら,引き受けてくれるということで,救急車を呼んで小一時間の搬送の旅に出た.入院は明け方だったので,その日のうちに胆のうに管を差し込んで胆汁を抜くというドレナージの処置をしたところ,痛みは嘘のようになくなった.外科が混んでいるということで,3週間も待たされて腹腔鏡による手術を受け,3日目に退院した.時間があったので,コンピュータを持ってきてもらって,本書の原稿の整理をした.第III部,第IV部の整理が終了したのが10月末,残りの原稿の整理が終了したのは11月だったと思う.

 それから,校正が始まった.入院前に原稿を送っていた第I部の校正は順調に進んだように思うが,左半球損傷を体験した後に原稿を整理した第II部から第IV部の原稿の校正は大変だった.何回読んでも,その度に直す必要があるのではないかと思ったり,同じ英単語を前に訳したのと同じには訳していないように思ったり,実際にそうだったりということが少なくなかった.それで,校正のために,手元の原稿を2度も3度も校正し,本物の校正は時間をかけずに済ませるようにした.

 第3版の翻訳を手伝っていただいた方は,古くからの翻訳者である方に加えて,多数の方々にも参加していただいた.神奈川県立保健福祉大学・長谷龍太郎教授,秋田大学医学部保健学科・石井良和教授,北海道大学医学部保健学科・村田和香教授,山形県立保健医療大学・竹原敦講師,神奈川県立保健福祉大学・笹田哲講師という5人の常連の翻訳者に加えて,吉備国際大学・小林隆司准教授,埼玉県立大学・中村裕美講師,社会医学技術学院・鈴木憲雄専任講師,同・京極真専任講師,常葉リハビリテーション病院・野藤弘幸作業療法士,そして,首都大学東京健康福祉学部・小林法一准教授の6人の方に加わっていただいた.特に,石井,村田,小林(隆)の各先生には,第III部を含めて多くの箇所の翻訳をお願いした.この人たちの協力がなければ,本書の出版は困難であったろう.

 本書が4部から成ることは,本文の中でも触れられている(第1章).第I部は基本的な概念であり,第II部は評価法と評価の説明,第III部は事例,第IV部はプログラムと研究である.本書をどのように読んだら良いかという相談を受けることがあるが,次のようにすればよいのではないかと答えることにしている.まず,自分の臨床場面を,臨床場面がない学生などは,興味のある臨床場面を思い起こしていただき,その事例を探して,詳しく読むと良いでしょうと.その点で,この第3版は事例が豊富に示されており,臨床場面も豊かである.ついでに,関連する臨床場面の事例にも取り組んでみると,さらに詳しく人間作業モデル(MOHO)を理解できるはずである.そこで評価法(第II部)の所に移り,MOHOではどんな評価法を使うのかを検討してみる.評価法はすべてが掲載されている訳ではないが,多くの評価法の手引書は,日本作業行動研究会(事務局:秋田大学医学部保健学科 http://www.jsrob.org/)から頒布されているので,問い合わせると良い.その次になって初めて,第I部に移り,MOHOとはどのようなものなのかという理論に迫れば良い.そうすると,自分が対象者にMOHOを実施し,それを理論的に説明ができるという状態になっているはずである.

 MOHOを使うことについて,現在,私は以下のことを考えている.健康な高齢者に対する予防プログラムが注目されているが,現在はパワーリハビリテーション(パワーリハ)が人気を呼んでいるようである.しかし,パワーリハはどちらかというと,理学療法の分野のアプローチであると思うし,また,パワーリハにはどうも参加したくないという高齢者も少なくないようである.そこで,私は,作業療法として,MOHOを応用した予防プログラムを考えている.予防という場合,教育的プログラムが1つの中心になるであることは確かであろうから,その内容にMOHOの概念を用いるということではどうだろうかと考えている.現在,福島県南会津郡只見町,東京都豊島区などで,このプログラムの実施を考えている.

 私は,MOHOを翻訳して伝えてきたが,このモデルを自分のものにできたと考えたのは約10年前で,文部科学省の科学研究費を得て行った「作業に関する自己評価(OSA)」の臨床的利用の研究からだと思っている.MOHOの講習会のやり方が明らかに変わったのは,それから5年後のことである.それまでは,基本的に,自分はMOHOの伝達者でしかなく,詳しいことはKielhofnerに聞いてくれといった立場であったように思う.しかし,第28回日本作業療法学会の学会長講演として提示した事例と,OSAの臨床的利用に関する研究でOSAが実際のクライアントの状態を反映する評価法であることを知ったことで,本格的にMOHOに引きつけられるようになった.今では,MOHO講習会には,自分の事例をふんだんに使ってMOHOの教育をしている.

 この第3版が出たことを喜びたいが,アメリカでは第4版が7月に出版されようとしている.原著の出版の時間間隔が短くなればなるほど(第3版から第4版は5年間),日本での翻訳出版は困難になるのではないかと恐れている.最後に,協同医書出版社の関川宏さんには,本書の編集に辛抱強くお付き合いいただきました.この場を借りて,厚く感謝申し上げます.

 2007年4月23日

首都大学東京 健康福祉学部にて

山田 孝